一番大切だったもの





 冷たくなっていく兄の体を抱きしめながら、感じたのは絶望だった。
 わからない。わかりたくなかった。

「いやぁ!」
 出てくるのは、絶叫。
 血まみれの兄の姿。
 もう動かない。
 息を、していない。



「お兄様!」
 自分の声で目を覚まし、頬を伝うそれに気付く。ナナリーは目を覆った。
 幾度も思い出す兄の姿。

 それが悪夢となってナナリーを襲うのは、少ないことではなかった。それこそ、兄が死んでしばらくは、泣き疲れて眠り、目を覚ましては泣く、という何もできない状態だった。
 けれど、涸れない涙はないということなのだろうか。悲しみも一時であると言うことなのだろうか。今では、兄を夢に見ることも、減った。どうにか慣れない交渉を行うことができるようになった。
 もちろんそれには、まだまだ力が及ばない部分が多々あり、助けてもらうことの方が多い。それでも、自分は前に進んでいるのだろう。そう考えて、涙が止まったところで、ノックの音が響いた。

「ナナリー様。お目覚めでしょうか?」
 生徒会にいた頃と全く変わらない小代子の声が聞こえて、ナナリーは慌てて涙を拭った。
「はい」
 そう答えて、体を起こす。
 立つことは相変わらずできない。
 入ってきた小夜子がカーテンを開ける。そうして渡された服を、手伝ってもらいながら身につける。車いすに乗せてもらい、押してもらわねば、動くことすらままならない。

 それでも、ナナリーは意志を持って、すべてに臨もうとしていた。
 今までは、兄にすべてを任せきりだったのだ。
 わかっていたことではあったけれど、先日までの出来事で、改めてそれに気付かされ、ナナリーは考えることをはじめたのだ。

 小夜子が持ってきてくれた食事を食べて、また車いすで移動する。
 胸元でぎゅ、と手を握りしめる。
 これからまた、移動して、人と会うことになっているのだ。

 そして。
「ゼロ、お待たせしました」
 扉を開け、部屋の中に入る。そこにいるのは、ゼロ。兄の命を奪った男だ。
 ナナリーは、また無意識に手に入れる力を強くした。
 彼の表情は仮面のせいで全く見えない。けれど、彼から感じられるのは、いつだって覚悟という思いだった。

 彼のことを、ナナリーは知っている。
 兄の命を奪った男。けれど兄を誰よりも理解していた男。
 ナナリー自身にとっても、大切であった彼。
 けれど、口に出すことはない。彼はもう、ゼロという英雄なのだから。

「ああ、」
 彼はそう言って、マントを翻した。
 人と会う場には、大体が彼とナナリーとで行くことになっている。ゼロという英雄と、ブリタニアの皇位継承者である自身。そろっているからこそ、進むことができる未来がある。
 それを兄は見越していた。
 すべての憎しみを背負って死に、その結果として妹であるナナリーやすべての人々に未来をあたえた。

 もちろんナナリーの一番の願いは、兄と共にあることであった。兄さえいればよかった。だから兄を恨みもした。
 けれど今では、兄の死も自身への罰だとも思うようになっている。フレイヤを使って、大勢の人の命を奪った自分は、罰を受けて当然だったのかもしれない、と。

「小夜子さん」
 ナナリーがそう言えば、小夜子ははい、と頷いて、車いすを押した。公の場ではゼロがその椅子を押すが、そうでないときには小夜子に押してもらうことが多い。
 ゼロは決して、人と触れあおうとする人ではないから。

 ナナリーは先を行くゼロの背を見る。
 ユーフェミアのことは聞いている。そのことで、彼が、昔の彼が、兄を憎んでいたことも。それでも多分、兄は彼を信じていた。
 だからこそ、彼にとっても、きっと兄を失ったことは一番の罰だったのではないだろうか、と。彼の覚悟の背中を見ながら思う。

(だとしたら……)
 彼は自分にとっての一番の理解者であるのかもしれない。
 一番の同志であるのかもしれない。
 決して、世界のために、兄を裏切らないという。
 
「お兄様」

 ぽつり。
 小さく、小さくナナリーは呟く。
 兄の願いを叶えたい。
 力でなく、言葉で、進んでいく未来。
 人が人としていられる未来。
 多分それは兄だけでなく、すべての人の願いだから。



「ゼロ」
 飛行機から直前。ナナリーから発せられた声に、ゼロは隣を見た。
 ナナリーは、車いすに乗ったまま、ゼロを見つめている。
 微笑む彼女の瞳に宿るのは覚悟。
「行きましょう」
「ああ」
 そうしてゼロは、ナナリーの車いすに手を掛け、歩き出す。





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ふぅ。
引っ張り出してきました。

今更。本当に今更。
書いたは良いけど、出すのを非常にためらったもの。書く傍から考えが変わっていくので、困ります。
でもいろんな人のを読んでみて、まあいっか、とかいう理由で出しちゃいました。はずかしーですね。
とりあえずこんなことを考えていた時期もあった、ということです。衝動的に書いたので、多分今書くとまた違った風になるんだろうなぁ。